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橋の下のトランペット吹き

武庫川の川岸をジョギングしているとどこからか下手なトランペットの音が聞こえて来る。

ぷぁーあぷあぷあぱーぱーぷぁーぷぁーぱぱぷぁーぱーぷーぷーぷぁ……

「はーあるのおがぁわーわさーらーさーらーゆーくーよ〜」
むかし小学校か中学で習った「春の小川」である。その最初のフレーズばかりアホの一つ覚えのように吹き続けている。

毎回かならずどこかを失敗して「ぶふぉ〜」みたいな音を出す。

ブラスバンド部に入部したての高校生か、趣味で始めた学生か……。
そのすきだらけのひとなつっこい音色は屈託なく未来を感じさせる。
そこにあるのは確かに希望だけに違いない。

 走り続けるうちウィーンのとある教会の側で一人のオペラ歌手が歌っていたことを思い出した。

夕暮れ時、街を歩いていると遠くから美しいテノールが聞えて来る。
その声量といい、節回しといい、相当の強者であることぐらい私にもわかった。
周囲を歩く観光客たちもその声に気づきなにやら顔を見合わせている。
徐々に高まる声音に我々の行く手にその男がいることは間違いなく思われた。

やがて……、男は陸橋の下に立っていた。
たったひとりで。

男の周囲に誰もいないのを観て私ははじめて彼が無伴奏で歌っていることに気づいた。
舞台衣装をおもわせる派手な襟の白いブラウス。その上にすり切れた深緑色のジャケット。
美男であったと思われる、いや、今も美しい顔立ち。
やや薄くなりかけた頭頂部。変哲のないコーデユロイのパンツにくたびれた靴。

 そして我々が彼の立つその陸橋の下にさしかかった時、奇跡は起こった。

いくつもの声が反響しながら上から下から右から左から我々を包んだのだ。
楕円に二つのフォーカスがあるように、その橋の下には音響的に二つのフォーカスがあるのだった。
その一方に彼が歌い、もう一方に我々がいた。

からだに降り注ぐ天空からの調べに我々はくぎ付けになって歌い続ける男を見やった。

 そして数秒後、数十万年前に確かにそこに存在しましたよと語る堆積岩の中に残る生命体の抜け殻=化石のように、
「ちゃんと聴きましたよ」
というアリバイだけを残して我々はその場を去った。
拍手も出来ず、もちろんチップも残さず。

 橋の下で聴くにはあまりに美しい声だった。
そしてもう若くはない彼の風貌が我々の胸をしめつけた。
希望がなかった。まるで痛い過去だけが、ぱっくりと口を開けていた。

 人間にはそれぞれ相応しい舞台というものがあるに違いない。
そしてそれがそうでない時、我々はそこにあるのかないのかわからぬドラマを捏造してしまうのだ。
帰り道、ふたたび「春の小川」が聴こえてくる。

私は走るスピードを上げた。
両足の筋肉がいきなり悲鳴をあげ始める。
心臓が高鳴り、汗が噴き出す。

「負けるな……」

わたしは誰にともなくつぶやいた。

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